ウダウダ右大臣

プライドというものは意識的には持ち合わせていない。
プライドがあると人と仲違いするから。長い時間かけて喪失した。
もしかしたら、それはプライドではないのかもしれない。
そのかわり、と言ってはアレだけど嫉妬を持ち合わせている。

最近は日記帳(このブログじゃなくて現実の帳面)に色んなことを記そうとしている。
事実の羅列や喜怒哀楽、願い事や祈りごと。など。
やっと日記ブログも書きやすくなってきた。実際はあんまり書いてないけど。気持ちがオープンになってきた。
発電的な作用が枯渇してたっぽいのかな。
思考は書き出さないと整理できないっぽい。呼び水で誘って井戸からジャンジャン出す要領。呼び水が日記帳。井戸が思考、かな。
それに入ってくる情報の方が多くて、自分の何かを溜める瓶や壺はすっからかんになってた。
自分を豊かにする情報って外っ側にそんなにないのかも???
外っ側の情報をうまく処理できないだけか。
自分の体験が伴ってたらすごい外からの情報とうまく絡んで美味しいパスタできそう。

実体験的な自分の事とかけ離れてる情報だけ流し込んでも、何か考える力をすり減らしてる感じでもある。
油差さなきゃみたいなパターンかもしれない。

そんな感じで、内職的思考が好き。
人と話して思考をまとめたり方向を決めていくのも好きだけど。
人と争わないように特訓した生き方だったので、何も考えずフィルターもなく表すよりも、まずどういう風に表す(波風が立たず、更にもっと相手が気分良くなってくれるか的な)のが良いかを自分の中で考えて表したい。

そんなこんなでようやく、仲違いしてでも大切な何かを守らなきゃいけない物事が時折にあるってわかってきた。
私にとってどーでもよいことが大半だけど。

どーでもよいことが大半なのでその分面白い事や切ない事(やっぱりどーでもいいこと)に脳みそさけれるってのは、瓢箪から駒っぽい。
現代風にいえば瓢箪から駒ってなんだろう。
スマホ決済で割高にポイント還元みたいな感じ?...ではないな。

ってかんじである。

静寂の常夜灯

covid-19をきっかけに書き始めた走り書き

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